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ほとんどいつも

春一番の彼女

久しぶりの参加です!

2400文字くらいとなっております。

一読、何卒よろしくお願いいたしますm(_ _)m

 

novelcluster.hatenablog.jp

 

 

春一番の彼女

 

畳の上に、素っ裸で寝転がる。ざらりとした感触を背中に感じる。暖かな日だ。今日は何をするにしても良い日のように思う。開けっ放しの窓から、風が吹く。春の喜びの歌を歌う楽隊が、部屋の中をかき混ざるようにして、ぐるぐると渦を巻く。楽隊たちは、見事な統率でもって、指揮者のタクトに合わせて一糸乱れぬ行進を僕に見せつける。玄関の扉が開いた。また、新しい楽団が合流する。それとともに、僕がよく知る顔も現れた。彼女は、背後から受ける風を長い黒髪に流して、それを両手で押さえながら笑った。

「ねぇ、今日はお出かけしましょう。もったいないお天気よ」

そう言って、彼女はドアを閉めて狭い台所に立ち、やかんに火をかける。今になっては僕よりもこの家のことに詳しい。特に台所周りは彼女が使いやすいように整理されている。僕は、比較的彼女に合わせて行動するのが得意だ。

「そうだね。僕もそう思って、ねっころがっていたところなんだ」

「そう言ってくれると思った。急がなくてもいいわよ。でも、急いでくれたら私は嬉しいかもしれない」

彼女は、部屋の真ん中に横たわる僕を跨いで、窓に腰掛ける。足を外に放り出すようにするのを、僕は危ないからやめたほうがいいと忠告したことが三回ある。風の楽隊はいつの間にか姿を消していた。六畳の和室には、大切なものだけを残しておける空間としては十分だ。ただ、彼女の足だけは少しはみだしてしまっているけれど。

彼女の足はとても綺麗だ。肌が白くて青い血管が見える。こういうと、不気味かもしれないけれど、それはとても良いことだ。なんと言っても、彼女の人間らしさを際立たせている。血が通っているって言葉だ。それが、彼女の人間性と、すごく相性がいい。

「着替えたら、僕がコーヒーを入れるよ」

ありがとう、と顔だけをこちらに向けて彼女は笑った。僕は手早く、ジーンズとシャツを身につける。

この間、旅行に行った時に買ったお揃いのマグカップを食器棚から探す。二人が好きなキャラクター物で、テンションが上がって思わず買ってしまった。それ以来なんとなく、僕がコーヒーを淹れるときは、それにしようと決めている。やかんを手に取ったところで、急に気が変わった。僕はやかんをコンロに戻した。

「ねぇ? やっぱり、すぐに外に出ようよ。じっとしてられないよ」

僕はそう言いながら彼女を後ろから抱きしめる。肩から流れる長い黒い髪に、僕の両腕が沈んでいく。そのまま、顔を肩にくっつける。

「鳥カゴが欲しいんだ。中にはなにも生き物はいらないのだけど、この部屋に似合うと思う」

「じゃあ、見に行こうね。あと、そんなに力を込められると、落ちちゃいそうで怖いの」

僕は、彼女を抱きしめる手を緩めた。それでも落ちてしまわないように手放したりはしない。腕の中で、彼女が僕に体重を預けてくる。僕は、持ち上げるようにして彼女を抱え上げて玄関へ向かう。恥ずかしがる彼女を無視して、靴を履かせる。子供じゃないんだからとささやかに抵抗するけど、そんなことは関係なかった。

玄関のドアを開けると、猪がいた。大きな猪だ。僕の背の高さくらいはある。きょとんとする僕を横目に、彼女が勢いよく猪の背中に飛び乗る。

「ね、素敵でしょう? あなたも早く乗って」

差し伸ばされた手に掴まり、猪の背に引っ張り上げられた。僕はまったくわけがわからなかった。猪の毛皮は、その見かけ通り剛毛で、腿にちくちくと刺さってとても痛かった。猪が走り出すとその痛みはさらに酷くなった。

猪は、車道を走る。信号もちゃんと守る。僕はルールをしっかりと守ることに親しみを感じた。猪は僕らを乗せて、だんだんと街を離れて行った。情けないが不安になった僕は、前に座る彼女に回している腕に力を込めた。

「ねぇ、いったい僕らはどこに行くんだい?」

「もうすぐらしいわよ」

彼女は、この頓狂な場面であっても慌てることなく先の道筋が見えているみたいだった。辺りは、すっかり山道であった。猪はその快足を一切止めることなく、山の奥へ奥へと駆け上がっていく。僕はもう何かを案じるのをやめた。何せ、僕には愛すべき彼女がいるのだから。

ついに、猪は山頂へと登り詰めた。

「降りましょう。結構な乗り心地だったわね」

彼女に促されて、猪の背から飛び降りた。そうして、彼女に手を伸ばして降りるのを手伝う。猪は、僕らを一瞥すると来た道を戻り、山中へと消えていった。取り残されたというわけなのだろうか。

しかし、山に来たのは随分と久しぶりのことだった。数十年前の遠足以来じゃないだろうか。気がつけば、夜。日はとうに暮れていた。

「こっちよ」

声のした方を見ると、彼女が大きな石の上に座っていた。

「隣に座って。それで、静かにしていましょう」

助走をつけて石に飛びつく。腕の力で体を一気に引き上げる。山頂にある石の中で一番大きかった。

 

初めは、小さな音だった。木々のざわめきが、徐々に大きくなった。石が跳ねるよう地面が震えた。山頂の一点から、波紋状に振動が伝播しているようだった。その中心に僕らがいた。

僕は、石のてっぺんからその様子を見ていた。地面の震えが徐々に広がり、一本の大樹に至った。その揺れは根を通し、幹を通して枝に伝わり葉が揺れ、そして蕾が呼応するように花開いた。樹が全身に満身の力を込めて身震いするように猛々しく震えた。握り締められた拳が、空に向かって突き上げられるかのように、桜の花が空を目指して咲いた。気がつけば、次々と至る所で、同様に桜の樹々がその命の輝きを燦々と誇示していた。山全体を塗り直すように、広がるその摩訶不思議な衝動派は、ついに街へと行き届いた。

遠く、嗅ぐことのできないはずの香りが漂ってきた。今、この瞬間をもって僕の街は春になった。

隣を見ると、彼女は満面の笑みを浮かべていた。

「よかったね。今年も、私たちは春の中で生きていける」

そう言って、彼女は僕に優しく口づけをした。僕は、しっかりと彼女を抱きしめると、そのまま押し倒した。二人で、夜空を見上げると月が笑っていた。

そして、どこかで猪が吠える声がした。