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Almost Always

ほとんどいつも

久しぶりに

以前、ここで短編小説を書いていたのですが、一旦ページを消したのち、なんだかんだ戻ってまいりました。

 

novelcluster.hatenablog.jp

 

 

こちらで、紹介してもらったのが自分の中のきっかけです。

人に認めてもらえることの嬉しさ。自分の好きなものを書ける喜び。

そういうのを、また続けていきたいと思います。

 

というわけで、消してしまったものそのままですが、再び投稿です。

 

 

 

「林檎の矢」

 

悲しいことだけど、昨日美樹の彼氏は死んだ。事故だった。りんごを頭の上にのせて、見事にそれを撃ち抜くというマジックの演目の最中だった。りんごを貫くはずの矢がぐさりと頭に刺さって死んでしまった。美樹の彼氏の悟はマジックの助手をしながら、いつかはテレビに出るようなマジシャンを夢見て下積み生活を送っていた。でも、もう死んでしまった。美樹は悟の葬式の日に、ファミレスの厨房で皿洗いをしていた。その時は昔の恋人のことなんかちっとも考えておらず、皿洗いをしている退屈な時間を一秒二円、二秒四円。はい、一分経ったから百二十円とカウントして時間をつぶしていた。元恋人は、美樹が八百円稼ぐ時間の間に燃えてしまった。時間とお金のことを考えていただけであって、美樹が彼の人生に値段を付けていた訳ではないけど、彼女は後になって彼の死を思い返すと、どうしても時給八百円という言葉を連想してしまうようになってしまった。随分と時間が経っても、あの時どうして葬式に行かなかったのかは、どうしてもわからなかった。
 
死んでしまった恋人は明るくて優しくて背が高かった。マジックも一生懸命練習していたし、親の反対を受けながらも不平を言わず夢に向かってコツコツ頑張るような人だった。それに対して美樹は、大学をギリギリの成績で進級しつつ、サークルで上手くもないテニスにせっせとし汗を流し、記憶に残らない使い道をする給料のために働いていた。正直に言うと、美樹はそんな立派な志を持つ人の恋人でいることによって良い方向に自分の事態が転がるかもしれないと、淡い期待を抱いていた。打算ともいう。そして、悟が死んだ今、結果論的に言うと、美樹は何も変わっていない。時給が二十円あがったくらいだ
 
美樹の思い出の中で、一番輝いているのは、悟と出会った夜の事だ。その日、悟はバーでトランプのマジックを披露していた。観客の中から手品のターゲットとして偶然選ばれたのが美樹であった。壇上に上げられ、椅子に座らされる。グリーンのマットが敷かれたテーブルに悟がカードを広げる。指さばきが綺麗だった。とても鮮明に覚えている。美樹が無数のカードの中から一枚を抜き取るとと、悟は他のお客様にも見えるようにしてくださいと促す。それは本来トランプの柄には無い薔薇の花柄のAだった。きょとんとしていると、すっと手の中にあったカードを抜き取られ、悟が指を鳴らした。カードはいつの間にか一輪の淡いピンクの薔薇に代わっていた。恭しくマジシャンが花を差し出す。美樹は一瞬で目の前で起きた小さな奇跡に心躍り、熱に浮かされてしまった。美樹は自覚していないが、うつろいやすい女だった。美樹が花を受け取ると拍手が起き、悟が丁寧で深いお辞儀をする。これがショーの最後だった。ステージが片付けられ、悟は店の隅で道具の片付けをしていた。美樹は、その背中に声をかけた。
 
「あの、今日は楽しい時間をありがとうございました。私、こんなに間近でマジック見たの初めてびっくりしちゃいました」
悟は照れた様子で謙遜した。
「自分はまだまだですよ。それに、あんなに盛り上がったのは美樹さんのおかげです」
「そんな、はしゃぎすぎていましたよね。恥ずかしかったです。うふふ、私子供っぽいってよく言われるんです」
「美樹さんの笑顔って、僕のマジック以上に人を幸せにする力がありますよ」
この時、美樹は既にこの男と寝ようと決めていた。カクテルの酔い以上に熱くなっていた。自然と眼が潤む。すぐに抱かれたかった。悟の手を力強く握ると店を出た。悟も、荷物だけ手早く抱えて、引かれるがままに後を付いていった。バーを出て込み入った路地を二人で急ぎ足で駆け抜けていく。ネオンの光が二人の横顔を照らす。おぼろげで仄かで揺らぎやかな人工的な明かりだった。何件かホテルを回ったが、どこも満室だった。でも、美樹は今日の今この瞬間に悟に抱かれたかった。もうなんにも構わなかった。
 
「ここでしましょ」
既に、美樹は悟の胸元にぴたりと寄り添っていて、唇を首筋に這わせていた。舌が小さく円を描く。悟は美樹の肩を強く握る。美樹の顔が歪む。通行人は、二人を一瞥しても表情を変えずに立ち去っていく。なぜならそこは夜の街だからだ。悟が美樹の顎を掴み強引に上を向かせる。貪りながら、与え合う。そんなキスだった。荒々しいだけだった。それが良いか悪いかは問題ではない。脳が痺れて、錯乱と混乱に支配される。気がついたときには、美樹は涎を垂らしながら、快楽に喘いでいた。そして、手早く雑にセックスをした。悟の精子は、美樹のショーツで拭き取って道に捨てた。
 
美樹にとって、こうして毎日を生きるのが最高の幸せだった。自分でも、支配できない暴力的な性があることは自覚していた。どうしようもないのだ。林檎が赤く熟れるように、美樹の性欲は甘い汁を溜め込み、パンパンに膨らんでいく。
 
悟の仕事場の人から、悟が病院に運ばれた、命が危ないかもしれない。と電話が来た時、美樹は男の腕の中に居た。
 
男が起きる前に化粧を直し、こっそりとホテルを出ようと考えていた。腕枕をされているのを外し、静かにベッドから降りた。ちょうど、そうし終えたときに、テーブルに置いてあった携帯が光った。大変です、悟さんが、りんごじゃなくて、矢が、血が、止まらなくて、とにかく、病院に来てください。
 
電話の相手は、悟の同僚で何回か三人で食事もした事がある相手だった。彼とも既に二度ほど寝ていた。相手の言う事は混乱し支離滅裂だったが、美樹は悟の身に何か起きた事は理解した。きっと駄目なんだろうということも。事実、悟は病院にたどり着く事無く死んだ。それこそ、美樹がもう何度目かわからない程に乱れきっている間に死んだのだ。美樹はとても悲しい気持ちになった。同時に病院には行かないとも思った。彼のかけた魔法はとっくに解け、ピンクの薔薇も枯れ果ててしまっていたのだ。美樹は林檎を食べるように男を喰らう。甘い実の詰まった部分だけを。おいしいところだけ、たんまりと齧るのだ。あとに残るのは、種と固い芯だけ。美樹はこう考える。
 
食べれない不味い芯の部分を無理して食べようとするからいけないの。なんだってそう。種も残さず捨てるべきだわ。美味しいところを散々に味わい尽くすのが賢いのよ。やめて、やめて、私は何も聞きたくないの。
 
美樹は、音を立てずに服を着て荷物をまとめると、ベッドで寝息をたてている男を名残惜しそうに見つめながら静かに扉をあけた。